後藤 慎吾

UPDATE
2023.02.17

その他

ウ・ヨンウ弁護士は天才肌

今年の正月にNetflixで「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」という韓国ドラマを見た。

 

このドラマでは、IQ164の天才性と自閉スペクトラム症の障害を持つ新人弁護士ウ・ヨンウが、所属事務所の同僚弁護士とともに担当事件の解決に向けて奮闘し、弁護士として、また1人の人間として成長していく過程が描かれている。

 

ストーリー展開の秀逸さとウ・ヨンウを演じるパク・ウンビンの卓越した演技力に引き込まれてその後もう一度見返してしまった。ここまでドラマにはまったのは私の人生で初めてのことだ。

 

このドラマで、ウ・ヨンウは、その天才性を発揮するだけでなく、依頼者に寄り添い、個々の案件に粘り強く向き合うことで依頼者の権利を擁護しようとする。その真摯な姿に自らの仕事への向き合い方を重ね合わせた。

 

世の中の常識や自らの先入観にとらわれて事柄の本質を見誤っていることはないか。

効率を重視して依頼者の利益をないがしろにしていることはないか。

弁護士になったころの初心を忘れてしまっていることはないか。

 

ウ・ヨンウは私に弁護士として仕事をするうえで大切なことを再認識させてくれた。

 

「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」は世界的にヒットしたため、シーズン2の制作が検討されているという。「ウ・ヨンウロス」を埋めるために私はシーズン1をあと何回見返すことになるのだろうか。シーズン2の放映が今から待ち遠しい。

荒巻 慶士

UPDATE
2023.01.31

その他

年初にあたって

 正月早々、帰省先を巻き込んで家族で大かぜをひいた。幸いコロナではなかったものの、高齢の両親は病院で薬をもらうにも一苦労。コロナ感染の疑いから、あちこち受診先を問い合わせ、ようやく予約は取れたが、駐車場の車中で長時間待たされるという事態となった。

 コロナも〝普通のかぜ〟になっていきつつあるが、流行の波に合わせて、今後も神経質な対応を迫られることになろう。昨年は、感染拡大のあおりを受けた会社の倒産申立てを受任した。ウェブ会議やリモート勤務も定着してきて、非接触型の社会へと傾斜しているが、メンタルヘルスやコミュニケーション不足によるトラブルなど、労働相談においても、負の側面が顕在化している。

 

 ウクライナや台湾などをめぐるロシア・中国といった海外の覇権国家との対立の先鋭化は、物価の高騰や防衛力強化のための増税など、国内問題として身近に影を落とし始めている。

 法曹に身を置く身としては、憲法9条の行方が気がかりだ。攻撃的に接すれば、攻撃的な対応が返ってくるのは、紛争の現場で見てきたありふれた光景である。軍事力を増強すれば、同様の反応があり、当初の増強で終わらないのは当然であろう。軍拡を競う前に、こうした国家に対するこれまでの対応に問題がなかったのか、顧みる論説は多くないように思う。

 

 もう一つの気がかりは、法曹三者、つまり裁判官・検察官・弁護士の志望者が減っているということだ。司法試験の合格率は、かつて2、3パーセントだったが、今は40パーセントほどである。それでも、以前年に3万人いた受験者は3000人程度だという。

 司法は国家の骨格で、細ると軟体動物のように、捉えどころのない、行き当たりばったりの弱肉強食社会となる。事件の現場では、同業者の振る舞いなどから、弁護士の仕事のサービス業化とともに、公正や正義の側面の弱まりを感じる局面が増えてきたように感じる。時間とお金をかけてロースクールで学んでも、法曹となる保証はなく、経済的にも報われないとするなら、志望者が減るのもわからなくはない。

 理系人気も理解できるが、司法は社会の正義・公正を担保する国家基盤であり、その重要さを社会全体で確認したい。弁護士の仕事に誇りを持ち、改めてその振る舞い様にも心したいと思う。

 

 遅ればせながら、年初に当たっての所感である。

後藤 慎吾

UPDATE
2022.12.23

その他

ラブレター

これまでの人生で1度だけラブレターを書いたことがある。

 

高校3年の12月のことだった。手紙の相手は小学生のころから恋焦がれた同級生の子で、中学も同じだったが、高校は別だった。手紙に何を書いたのかはよく覚えていないが、当時好きだったビートルズの曲のフレーズを書いた気がする。受け取った方は困惑するだけだろうに。

 

その手紙を投函してから程なくしてその子から私の家に電話がかかってきた。会ってもいいという。それで近所の公園で会ったのだが、その時の会話で覚えているのは、その子は推薦で進学先の大学が決まっていたので会ってみたと言っていたことぐらいで、それ以外にどのような会話をしたのかはあまり思い出せない。ただ、私が書いた手紙を持ってきていて物凄く恥ずかしかった記憶がある。

 

その数日後、その子から電話があり、映画に行かないかと誘われたのだが、何故か私は理由をつけて断ってしまった。その後、私から連絡することもなく、それぎりになった。当時の私が何故そのような態度をとったのかはいまだによくわからない。青春期特有の気まぐれによるものなのだろうか。冬が来るたびにこのことを思い出しては自分の未熟で、身勝手な行動を恥じている(相手の子にとっては忘却の彼方のことなのだろうが)。

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