荒巻 慶士

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2017.03.19

その他

春に3.11を思う

 もうすぐ春が来ます。

 4月は残酷極まる月、と歌ったT.S.エリオットの「荒地」は、私の中で、福島の被災地と重なります。雪を溶かす雨が、芽を吹かせ、「鈍い根をかき回す」…。

 6年前の3月11日、私は富山・高岡の裁判所に出張中で、和解を成立させた帰り道、特急は糸魚川で立ち往生し、そこで下車させられた私は、来た方向へ向かう列車で富山に引き返さざるを得ませんでした。そして、その車内で聞く乗客のひそひそ話により、非常に大きな地震が起きたことを知りました。

 駅員は、明日は上越新幹線も動くでしょう、と話していましたが、一夜明けても動く気配はありませんでした。週末で、東京に帰る必要はなかったのですが、私は、「故郷」である東京に帰りたくなり、たどり着いた空港で、キャンセル待ちをして、羽田行きの切符を手に入れました。静まり返った町を抜けて戻った自宅は、うず高く積まれていた本が崩れるなど、物が倒れているくらいで、無事でした。原発事故は報道されていました。実はメルトダウンしていたのですが、それを知る由はありませんでした。私たちは知らされていなかったからです。

 被災地から離れていても、だれもが、それぞれに3.11の記憶を持っています。あの日、被災しなかったのは偶然にすぎない、という思いがあります。あれ以来、私たちは、無邪気でいられなくなり、大人びてそれでいて不安げな子どものように振る舞っています。

後藤 慎吾

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2017.02.28

その他

困難を乗り越えた先に見えるもの

昨年の夏から取り組んできたプロ向けファンドの法規制に関する本の執筆は、本日ようやく校正を終えました。この4月には、いよいよ出版される予定です。この法規制は複雑であり、また取り上げるべき内容も広汎にわたるものでしたが、できるかぎり基本から平易に説明することに腐心しました。自室にこもって一日中資料を読み込んだり、夜遅くまで仕事をしたあとに徹夜で原稿を書いたりと、ほとんど休むことなく作業を続けた8カ月間でした。自分なりに努力を重ねてここまで漕ぎつけることができたので、あとは読者の方の評価に委ねたいと思います。

 

執筆期間中に何度も思い出されたのが、司法試験の受験生だったときのことです。当時の司法試験は現代の科挙といわれるくらいの狭き門でした。合格率は3%を割っていました。私も、合格するまで、朝起きてから寝るまでのほとんどの時間を法律の勉強に費やすという生活を3年続けました。1年に1回しかない試験なので、不合格だとまた1年間同じことを繰り返さなければならないと思うと必死です。ただ当時、それほど辛く感じることはありませんでした。「なりたい自分になる」という目標の実現に向けて自分は正しいことをしているという自負があったからこそ、過酷な状況でも意外と楽しく過ごすことができたのだと思います。

 

人は困難を克服する過程で成長するものです。そのハードルが高ければ高いほど、人はそれを乗り越えようとがむしゃらに努力する。その努力を通して得られた知識・経験・自信といったものがその人の成長の証しなのだと思います。翻って考えてみると、受験生時代に頭の中に叩き込んだ条文と法的思考は今となっては私にとって大切な財産ですし、また、あの3年間を乗り越えられたのだから、努力すれば大概のことはできるんじゃないかな、と思えるようにもなるわけです。普段は自堕落な生活を送っている私ですが、時折こういった困難に直面すると何故だかわくわくしてしまうのは、過去の経験から、それが成長できるチャンスだとわかっているからなのだと思います。

 

ただ、司法試験の受験生をしていた当時は独り身でしたが、今は妻子を持つ身。執筆期間中は「パパ、一緒に遊ぼー!」と言ってちょっかいを出してくる娘・息子を振り振り払いながら執筆に打ち込んできたので、家族をないがしろにしてしまった反省もあります。そういうわけで、当面の間は「困難」はほどほどに、家族サービスに精を出さないとな、などと思案しつつ、先ほど久しぶりにワインのボトルを開けました。今宵はほろ酔い気分の中でしばし解放感に浸ろうと思います。

 

 

 

荒巻 慶士

UPDATE
2017.01.31

その他

福島原発事故から6年を迎えて思うこと

  この時期になると思い出す出来事に2つの大震災があります。

 先日、福島第一原発事故による被災者の自殺に関するレポートをテレビで見ました。避難先からいち早く故郷に帰り、張り切って農業を再開した夫婦がこのほど心中したとの報告でした。テレビカメラに向かい、以前と同じようにできればと、少しはにかみながら並んで希望を語るかつての姿も紹介されていて、胸にとても堪えました。東日本大震災から6年を迎えようとしている今、周囲の関心の薄れ、被災者の孤独の深まりを番組は伝えていました。

 電通の新人女性が自ら命を絶った事件により、昨年来、過労自殺に改めて焦点が当たっています。過労自殺の原因には長時間労働があるとされていますが、長時間労働とうつ病発生のメカニズムには未解明の点が残されているといいます。社員の労働力を利用するには危険が伴い、またこれにより事業を拡大し利益を得ている会社では、こうした危険責任や報償責任の考え方もあって、長時間労働が認められると、社員の自殺につき責任に問われる傾向があります。ただ、過労自殺の背景には、単なる長時間労働ではなく、孤独や孤立の闇を感じることは少なくありません。

 翻って、福島第一原発事故は、だれに、どのように帰責するのでしょう。故郷喪失ともいうべき被害の大きさ。耐えきれぬ責任の重さに、途方に暮れるばかりです。原発につき起り得るいかなる事態も制御できる態勢を作り上げることは困難というほかなく、原発事業を行う東芝の子会社が、規制の強化に伴い、多額の損失を出したことが最近明らかになったところを見ても、原発を維持する経済的合理性にも疑問を感じざるを得ません。原発の利用については慎重にというのが、健全な常識であると思います。

 さて、自分が被災者のためにできること? 法律相談のボランティア? 平凡な思いつきしかできないのが、歯がゆい限りです。

 

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