後藤 慎吾

UPDATE
2017.04.14

その他

当たり前のことだからこそ

本日、私が執筆した「適格機関投資家等特例業務の実務―平成27年改正金商法対応」が中央経済社から刊行されました。編集・校正・装丁の担当者の方々を始め多くの方のご尽力があってここに至ることができました。心より感謝申し上げます。

 

私の著書がどれだけの方の手に取っていただけるかはわかりませんが、わが国で発行部数500万部を超える書籍は「窓ぎわのトットちゃん」(黒柳徹子)、「道をひらく」(松下幸之助)、「ハリー・ポッターと賢者の石」(J.K. Rowling)の3つしかないそうです。私は事務所までバスで通勤しているのですが、今その行き帰りで「道をひらく」を読んでいます。

 

「道をひらく」は、松下幸之助が記した121篇の短文をまとめたものであり、「その一篇一篇は、時にふれ折にふれての感懐をそのまま綴ったものであるが、この中には、身も心もゆたかな繁栄の社会を実現したいと願う私なりの思いを多少ともこめた」(まえがき)と説明されています。本書では、誠意・感謝・精進・素直・工夫・勤勉・忍耐といった人が備えるべき品性・人格的能力の大切さについて述べられているのですが、人が生きていくうえでそれらが体現されるべきことは私たちの胸の内に刻まれていたとしても、普段の生活においては忘れがちで、このことに思いをめぐらすことはあまりないのではないかと思います。

 

私は、数年に一度は「道をひらく」を紐解くようにしています。それは、上記の普遍的な道徳的価値について今一度意識的に考えてみる契機を与えてくれるからです。松下幸之助の実直な、そして味わい深い言葉に接することで、自分自身の生活や仕事上の行状を振り返り、自らの愚かさ・浅はかさに気づかされ、心をあらたにすることができるのです。その一篇一篇は、そうした内省の機会を読む人に与えてくれます。「道をひらく」にはある意味で当たり前のことが連綿と書かれているのですが、当たり前のことだからこそそれを真剣に語りかけてくれる書籍は実は少ないのだと思います。この書が発行から既に半世紀を経ようとしている現代でも売れ続けている理由はまさにここにあるのでしょう。

 

さて、わが書の発行部数は「道をひらく」に比べたらほんとうに微々たるものであろうと思いますが、購読いただいた方に少しでもお役に立てればと願っています。

荒巻 慶士

UPDATE
2017.03.19

その他

春に3.11を思う

 もうすぐ春が来ます。

 4月は残酷極まる月、と歌ったT.S.エリオットの「荒地」は、私の中で、福島の被災地と重なります。雪を溶かす雨が、芽を吹かせ、「鈍い根をかき回す」…。

 6年前の3月11日、私は富山・高岡の裁判所に出張中で、和解を成立させた帰り道、特急は糸魚川で立ち往生し、そこで下車させられた私は、来た方向へ向かう列車で富山に引き返さざるを得ませんでした。そして、その車内で聞く乗客のひそひそ話により、非常に大きな地震が起きたことを知りました。

 駅員は、明日は上越新幹線も動くでしょう、と話していましたが、一夜明けても動く気配はありませんでした。週末で、東京に帰る必要はなかったのですが、私は、「故郷」である東京に帰りたくなり、たどり着いた空港で、キャンセル待ちをして、羽田行きの切符を手に入れました。静まり返った町を抜けて戻った自宅は、うず高く積まれていた本が崩れるなど、物が倒れているくらいで、無事でした。原発事故は報道されていました。実はメルトダウンしていたのですが、それを知る由はありませんでした。私たちは知らされていなかったからです。

 被災地から離れていても、だれもが、それぞれに3.11の記憶を持っています。あの日、被災しなかったのは偶然にすぎない、という思いがあります。あれ以来、私たちは、無邪気でいられなくなり、大人びてそれでいて不安げな子どものように振る舞っています。

後藤 慎吾

UPDATE
2017.02.28

その他

困難を乗り越えた先に見えるもの

昨年の夏から取り組んできたプロ向けファンドの法規制に関する本の執筆は、本日ようやく校正を終えました。この4月には、いよいよ出版される予定です。この法規制は複雑であり、また取り上げるべき内容も広汎にわたるものでしたが、できるかぎり基本から平易に説明することに腐心しました。自室にこもって一日中資料を読み込んだり、夜遅くまで仕事をしたあとに徹夜で原稿を書いたりと、ほとんど休むことなく作業を続けた8カ月間でした。自分なりに努力を重ねてここまで漕ぎつけることができたので、あとは読者の方の評価に委ねたいと思います。

 

執筆期間中に何度も思い出されたのが、司法試験の受験生だったときのことです。当時の司法試験は現代の科挙といわれるくらいの狭き門でした。合格率は3%を割っていました。私も、合格するまで、朝起きてから寝るまでのほとんどの時間を法律の勉強に費やすという生活を3年続けました。1年に1回しかない試験なので、不合格だとまた1年間同じことを繰り返さなければならないと思うと必死です。ただ当時、それほど辛く感じることはありませんでした。「なりたい自分になる」という目標の実現に向けて自分は正しいことをしているという自負があったからこそ、過酷な状況でも意外と楽しく過ごすことができたのだと思います。

 

人は困難を克服する過程で成長するものです。そのハードルが高ければ高いほど、人はそれを乗り越えようとがむしゃらに努力する。その努力を通して得られた知識・経験・自信といったものがその人の成長の証しなのだと思います。翻って考えてみると、受験生時代に頭の中に叩き込んだ条文と法的思考は今となっては私にとって大切な財産ですし、また、あの3年間を乗り越えられたのだから、努力すれば大概のことはできるんじゃないかな、と思えるようにもなるわけです。普段は自堕落な生活を送っている私ですが、時折こういった困難に直面すると何故だかわくわくしてしまうのは、過去の経験から、それが成長できるチャンスだとわかっているからなのだと思います。

 

ただ、司法試験の受験生をしていた当時は独り身でしたが、今は妻子を持つ身。執筆期間中は「パパ、一緒に遊ぼー!」と言ってちょっかいを出してくる娘・息子を振り振り払いながら執筆に打ち込んできたので、家族をないがしろにしてしまった反省もあります。そういうわけで、当面の間は「困難」はほどほどに、家族サービスに精を出さないとな、などと思案しつつ、先ほど久しぶりにワインのボトルを開けました。今宵はほろ酔い気分の中でしばし解放感に浸ろうと思います。

 

 

 

ページトップ