ウクライナに対するロシアの軍事侵攻は、今月8日で、開始から500日となった。ここに至り、ロシアでは一部の軍隊が国に反旗を翻し、内乱に発展しかねない事態も起きている。
長引く混乱の中で、子どもとの死別や家族の離散…、声なき弱者を見舞っている悲劇を思うと、心が塞がれる思いだ。一体何を歴史から学んできたのか。
戦地と地理的には離隔している日本にも、影響は出ている。物価の高騰や安全保障面からの取引の制約、アジアにおける中国を念頭に置いた政治的挙動などについてだ。
その最中、主要7か国によるサミットは、広島で行われた。核による惨禍を世界のリーダーに知らしめる機会になったが、この凄まじい兵器の抑止力を同時に再認識させたかもしれない。その脅威が保有国に対する全面的な攻撃を差し控え、戦火を長期化させるとしたら、皮肉なことだ。
単純な対抗を考えれば、軍事力の強化で、行きつく先は徴兵や核武装となるだろう。支障となる憲法は改正すべきものとなるかもしれない。他方で、生存、生命、幸福を守るため、平和主義の重要性を念押しするという対極の見解も導くことが可能である。
どちらが破滅に近いか。
教えられることがもう一つある。
情報の制約が合理的な判断を鈍らせるということだ。正しい判断のため、情報の自由な流通を守るということ。国家の情報流通への介入について警戒を怠るべきではない。他方、個人情報の取扱いに神経質になりすぎるのは考えものとは感じている。