後藤 慎吾

UPDATE
2019.02.28

その他

歩み

今日は平成31年2月28日。当事務所の開設日は平成28年3月1日ですので、早いもので明日で3年が経過することになります。

 

平成28年3月1日は期待と不安のなかでの事務所開設であったのを覚えています。依頼者や事務所の運営にご協力いただいている方々など多くの人々に支えられて、なんとかここまでくることができました。心より感謝申し上げます。

 

私は2年ほど前のコラムで松下幸之助の「道をひらく」について書いたことがありましたが、改めて紐解いてみますと、まさに私の今の心境を言い表してくれる文章がありました。

 

「他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。」

 

当事務所も、私自身も、心あらたに、着実に歩みを進めてまいります。変わらぬご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

荒巻 慶士

UPDATE
2019.01.31

その他

平成時代の2つの風景

 今年は、元号が変わる年。

 年末あたりから平成という時代を振り返る特集記事や放送を、メディアでよく目にするようになりました。

 

 自分にとっては、東西の大震災が大きな出来事として印象が強く、とりわけ、東日本大震災は、原子力発電所の事故という、いわば人災を伴った点で、衝撃を受けました。

 その発生時は出張先にいたのですが、陸路を空路に変えて、翌日ようやく帰京した時に目にした光景は、震源から遠く離れた場所であったにもかかわらず、それまでに見たことのない異常なものでした。不意に来て多数の生命を奪い、その者たちとのつながりを突然に断絶させた津波のあり様は、漫然と依拠していた科学技術、その安全性を、根こそぎさらっていくように見えました。

 まさに第2の敗戦ともいうべき出来事で、それまでの日本人の価値観を変え、生きることの厳粛さをもたらしたような感覚を持っています。平成時代には、その後も各地で自然災害に見舞われましたが、一種のそのまじめさを共通項とする連帯感がわたしたちの中に存在するような気がします。

 

 ところで、久しぶりに週末、代々木公園を散歩しました。

 代々木公園は、音楽に狂っていた時代に、公園前の通りに楽器を運び込んで演奏したり、新聞社で記者をしていたころには近くに住んでいて、何かとよく訪れていた場所です。

 寒さの和らいだ日だったとはいえ、真冬の公園に、こんなに人がいたっけか。あまりにたくさんの人で賑わっているのに驚きました。公園の入り口には、リーゼントを決めたローラーたちがフィフティーズをかけて踊っていました。(これは随分前から変わらず?) 公園内に入ると、お手製の楽器を前に腕前を披露する演奏家、散歩者の注意をおしゃべりで引きつつジャグリングする大道芸人、ダンスの練習に励む学生たち、グローブを手にキャッチボールに興じる男女、お弁当を広げてピクニック中の家族連れ、自撮り棒で記念写真を撮る観光客…。中には、無料人生相談の立て札を掲げて相談者待ちの男性も。

 昭和から平成に入ったころには、この公園でこれほどは自分流の週末を思い思いに楽しむ風景はなかったのではないでしょうか。昔だったら、変わり者、目立ちがり屋なんていわれていたかも。そんな振る舞いも当たり前に受け入れる多様性や自由な考え方を、わたしたちは平成時代を通じて手に入れたのかもしれません。

 

 そして、それが、「生きることの厳粛さ」に、どこかでつながっているといったら、少し言い過ぎでしょうか。

後藤 慎吾

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2018.12.10

その他

学び舎

大阪地方裁判所に係属している事件の期日に出頭するため、このところ毎月大阪を訪れています。大阪地裁の庁舎に足を踏み入れるたびにとても懐かしい気持ちになります。というのも、私にとって大阪地裁は学び舎ともいうべき場所だからです。

 

我が国で裁判官・検察官・弁護士になるためには、原則として、司法試験に合格したのちに司法修習を修了する必要があります。司法修習生はそれぞれ、全国各地の地方裁判所に配属され、一定の期間、各地の裁判所・検察庁・法律事務所で法曹実務家から直接指導を受けながら法律実務を学ぶこととされています。私は、20027月から9月までと20031月から3月までのそれぞれ3か月間、大阪地裁で刑事裁判と民事裁判の修習をしました。

 

司法修習生は、法廷で様々な事件を傍聴したのちにその事件の判決を起案し、指導裁判官に判決案を添削してもらいます。そして、その添削結果を前提として指導裁判官と議論することによって事件の法的構成や事実認定の仕方などについて理解を深めていくのです。弁護士が法的紛争を適切に解決するためには、その紛争について訴訟が提起されたと仮定してその事件を担当する裁判官はどのような法的帰結を導くのかという点について推測することが求められます。裁判官の考えや視点に直に触れることができた大阪地裁での経験は私にとって貴重な財産になっています。

 

大阪地裁の正門からその庁舎を仰ぎ見ると、この場所で奮闘していた若かりし頃の自分が脳裏に浮かびます。その時期から15年以上がたちましたが、今の私は、当時の私からどれだけ成長できたのでしょうか?今の私は、当時の私が思い描いた将来の私になれているのでしょうか?学び舎というものはそんな振り返りの機会を与えてくれるものなのでしょう。そして、これらの問いの答えは・・・いやはや、人生って思い通りにはいかないものですね。

 

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