荒巻 慶士

UPDATE
2017.09.26

その他

死に向かうリアリティ

    先日、死にまつわるドキュメンタリーをテレビで見ました。敬老の日の夜、NHKの放送でした。がん患者の死を多く看取ってきたという医師が、自ら末期がんを患っていることがわかり、その死までの1年余りが映像で記録されたものです。最近、あまりテレビを見なくなりましたが、時々こういう素晴らしい番組に出会うことがあります。

 番組では、住職でもあるという医師の田中雅博さんが、たんたんと死について語る場面に始まり、火葬場で焼かれ骨となるまでの光景が、時の推移にしたがって、映し出されていきます。その過程は、死の〝プロ〟ともいうべきこの男性にとってさえ、いら立ち、不安、苦しみを免れるものではありません。

 死というものは、抽象的なものではなく、言おうとしていることが言えないとか、ものごとを覚えていられないとか、好きだったアイスクリームすらのみ込めないだとか、目の前にいることが当たり前の、家族ら、親しい者が見えなくなるという、極めて具体的なことがらであり、その周囲の者たちが、会えなくなるという全く同じ思いをするという点で、自分だけの恐怖ではないことを、深く思い知らされます。

 静かさに至る道のりは、なだらかな坂道ではない。それを含めて受け入れることが死に向かう境地であり、そこに立つことは真に勇気のいることです。その覚悟は、テレビカメラを前にしてありのままの姿を撮影することを許したところに、たしかに感じ取ることができました。

荒巻 慶士

UPDATE
2017.07.31

その他

うちわであおいでいた

毎日、暑い日が続いています。

私事で恐縮ですが、昨年末に子どもが産まれ、その子が初めての夏を迎えています。

蒸し蒸しする昼下がり、わたしはうちわで赤ん坊をあおいでいました。エアコンを入れようかとも考えたのですが、空はうすぐもりで、古風な人力の風も気持ちがよいのではないかと思われたのです。

その子は、横顔にやわらかな光を浴びて、すやすやと眠っていました。

あおぎながら、わたしの方もうとうとと…。

ふと突然、わたしは、幼いころに、母からまさにこんな風にうちわであおがれて、眠りについたことを思い出しました。

ふさがってくるまぶたを感じつつ、うちわを動かしながら、あおいでいるような、あおがれているような…。

不思議な感覚でした。

無意識のうちに、親からされたことを子にする。

もしかしたら、それがよいことであっても、悪いことであっても、いえるのかもしれません。虐待された子が虐待親になる「虐待の連鎖」が語られることもあります。

いや、ひょっとすると、これは、親子だけのことではないのかもしれない。

よきにつけ、悪しきにつけ、ひとからされたことを知らず知らずのうちにひとに返していく。

きっと、ひとってそういうものなのでしょう。

あおぎながら考えた夏の午後でした。

荒巻 慶士

UPDATE
2017.05.30

最近の法律関係情報

憲法改正の必要性

 今月3日の憲法記念日に首相が2020年に改正憲法を施行するとの考えを表明し、マスコミの中にもこれに賛同する論調が見られました。その後、首相が示した9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという提案について、賛成が半数を超えたという世論調査の結果も報道されています。右とか左とか、安易にレッテルを貼られることに抵抗感があって、政治的にわたる言葉には慎重になりがちですが、まさかと思ううちに、あれあれ、おいおいという感覚の下に、法律の専門家として、意見を述べておきたいと思います。

 それは、現憲法を改正する必要はまったくないというものです。現在、改正すべき点として議論されていることのほとんどは、法律レベルで対応すればよいことで、中にはそれすら不要、単に政策として実行すればよいというものもあります。高等学校の義務教育化はそういったものの例です。また、首相の提案する自衛隊の明文化についても、今や、自衛隊という名前の組織を違憲と考える人はほとんどいないでしょうから、その必要性は低いと言わざるを得ません。首相は、多くの憲法学者が自衛隊を違憲と言っていると述べているようですが、それは自衛隊のあり方が問題とされているのではないでしょうか。自衛のための組織としてのあり方については、その組織の存在とは別に不断に問われるべきものでしょう。

 憲法の改正が法律の改正とは異なるポイントが2つあります。まず、憲法は、国家と国民の関係を規律し、国家権力を抑制しているものであるということです。例えば、民法は私人と私人の間のルールを定めていますが、こういった下位の法律とは性質が異なることに留意が必要です。憲法上、国家は国民の権利・利益を擁護すべき存在であり、権力の行使についていわば手かせ足かせをはめられています。したがって、権力の側にいる政治家がこれを変えようとする動きには、注意が必要といえます。憲法が制度化している三権分立の仕組みに則って、裁判所は、議員定数不均衡に関して、何度となく、違憲性を指摘してきましたが、これを是正しようと動きは政治の側において遅々として進まなかった現実があります。このような政治家が憲法を大切にしこれを良いものにしようとしてくれると信頼できるかというと、相当な疑問があるというほかないように思います。

 2つ目のポイントとして、憲法を押さえておけば、三権分立の下、司法の牽制が働くということです。憲法に違反する法律改正に対して、裁判所はその効力を失わせることができます。ところが、憲法自体を変えられてしまうと、違憲審査のよるべき基準が変わるので、もはや司法により是正ができなくなるのです。

 このように、憲法は変えにくいことに意味があり、改正については慎重のうえにも慎重に、政治への十分な信頼を基礎として、強い必要性が認められる場合に行うべきだと考えます。自衛隊は災害時に頑張っているから、明記してあげても…などという次元の話ではないことをよく理解する必要があります。改憲より注力すべき立法政策課題は、たくさんあるのではないでしょうか。

 

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