荒巻 慶士

UPDATE
2021.09.21

その他

スープ

 涼しくなり、温かいものを口にしたくなる日も増えてきた。

 よくランチに訪れるイタリアンの店では、パスタと一緒にサラダかスープを出してくれる。以前からスープ派なのだが、その日は一層スープをおいしく感じたので、柔らかな滋味はどこから来るのか、思い切って尋ねてみた。

 イタリア人のシェフは、イタリア語でも英語でもなく、「トリのモモです、骨付きの」と流暢に答えてくれた。

 

 そこで、思い立って、この連休に食材を買いに行き、野菜たっぷりで身体にやさしい、このスープの再現に挑むことにした。

 骨付きのモモ肉がなかったので、手羽元で代用。野菜は小さく刻み、玉ねぎ、人参、ズッキーニをじっくり炒め、大根、ブロッコリー、しめじと合わせて煮込んだ。

 

 ネット上のレシピの力も借りて出来上がったその味は、馴染みの店の味とは少し違った。それでも、スプーンを口に運ぶと、豊かなうま味が広がった。

 家族もおかわり、と好評で、鍋いっぱいに作ったが、あらかたなくなった。

 秋の始まりにふさわしい一日だった。

後藤 慎吾

UPDATE
2021.08.11

その他

左利き

私は左利きだ。

 

ただ、子供のころに字の書き方と箸の持ち方は右手に変えたので、その限りでは両利きなのだが(むしろ今は左手の方が下手になっている)、ボールを投げるのも、じょうろで花に水をあげるのも、何をするにも、そのほかはすべからく左手でしないとどうしようもない。箸は右手にしたが、スプーンやフォークは右手にしなかったので、今も左手で使う。だから、右手で箸を、左手でスプーンを同時に使うという器用な芸当ができるから、他の人より早く食べることができる。

 

人間の9割が右利きであり、左利きは1割に過ぎないといわれるから、この世の中のほとんどの仕組みは右利きの人のためにできているといってよい。右利きの人にはわからないのだろうが、左利きであることによる不便は多い。人生の中で一番辟易としたのは、ゴルフの打ちっぱなしで、左利きの人は、端っこに追いやられた左利き専用のいくつかのボックスでしか打つことができないことだった(アメリカではそんなことはなかったのだが)。

 

息子も左利きだ。遺伝するらしいとは聞いていたが、ほんとうに遺伝した。

 

私が子供のときに右手で鉛筆や箸を使うようにしたときの苦労を思うと、息子にどのように指導したらよいかは悩んだ。ただ、日本語の横書きや英語、フランス語などで文章を書くときは左から右に書くようにできており(これも右利きのための仕組みの一つだ)、左手で文章を書くのはやりにくいことこの上ない。このような個人的な経験から、息子にも右手で書くように指導した。箸は左手でも不便しないし、息子も嫌がったので、今も左手のままだ。

 

このように苦労だらけの左利きなのだが、私は左利きである自分が少し好きだ。これは何とも言えない不思議な感情なのだが、少数者としての矜持というのか、社会から不便を強いられてきたことへの反抗心とでもいうべきか。左利きの人同士が近しい感情を抱くのは、少数者の間の連帯感やそれぞれが日常生活の中で苦労した思いを心のうちに共有できるからなのだろう。この感覚、右利きの人には絶対わからないんだろうなあなどと思いながら、真夏日の今日も左手でうちわを扇いでいる。

荒巻 慶士

UPDATE
2021.07.26

その他

安全に動くための知恵

 コロナ2年目の夏はことさら暑く感じる。マスク着用は習慣となったが、この時期の息苦しさには慣れるものではない。ワクチン接種は、予約にも苦労する状況で、期待どおりに進んでいるとは言い難い。

 

 東京オリンピックは開幕した。しかし、開会式は、マスク姿で入場行進、がらんとしたスタンドに手を振る異例なものだった。

 関連施設の集まる湾岸地域に住んでいるが、巨大な施設の周りでは、多数の警察官と運営関係者ばかりが目につき、外国人はもちろん、人気はまばらで、国際交流の場としては幻に終わった形だ。

 

 応募したチケットのうち、一つだけ当選したものがある。有明アーバンスポーツパークで行われる自転車(BMX)競技。この特設の会場は、青空に突き立つように観客席が設置されている。この開放的な施設に観客を一人も入れないことに、感染防止上どれだけの意味があるのかと疑念も湧いてくる。

 全員動くなと言われても、自宅周辺の公園や図書館、スーパーなどは夏休みの家族連れで密となる。観光地はがらがら、酒禁止では、旅行・飲食は干上がってしまう。

 

 テレビ観戦が模範的な国民なのかもしれないが、ストレスは高まりそうだ。労働相談の現場では、職場でのコミュニケーションを欠くゆえのトラブルや、職員の心身の疲労が目につくこの頃である。

 いつまでも不要不急の外出をやめよというよりも、安全に動くための知恵と工夫がほしい。そろそろそんな蓄積があってもよいはずだと思う。

ページトップ