荒巻 慶士

UPDATE
2022.03.17

その他

つながっている

 この数週間、胸のつかえと心底のおりのようなものを感じて、寝ても起きても気が晴れない。ウクライナ情勢のことだ。

 空気の緩むこの時期に、連日死者の報道がなされ、3.11を控えて原子力発電所への攻撃が伝わる。この100年の歴史の教訓とは何だったのか。憂鬱の念に襲われる。

 

 振り返れば前兆はあった。ロシアに関して言えば、クリミア半島の併合を指摘されるが、例えば、このコラムでも取り上げた香港の非自由化・非民主化をなすすべもなく既成事実化された現実は、有無を言わせぬ隣国への侵攻につながっているのではないか。

 今こそグローバル社会における自由や民主主義の価値を確認し、強い関心をもってこれを守るためのコストを負担する覚悟が必要だろう。

 

 一つの光明は、SNSに見るような個人による現場からの発信や国境を越えた情報の連携である。かつてのように権力が情報を遮断し、民意を操作し切るのは難しくなっている。国を成り立たせている個人は、歴史から戦争の無益と悲惨を十分に学んでいると信じ、つながっていたい。

 

後藤 慎吾

UPDATE
2022.02.14

その他

辞書を読む

かなり昔のことだが、英和辞書を通読したことがある。

 

米国のロースクールに留学するためにTOEFLという英語の試験を受ける必要があり、その準備をしていたのだが、その過程で自分に英語の語彙力がないことに気付いた。それで、手元にあったジーニアス英和辞典を通読することを思い立った。当時のジーニアス(第3版)のページ数は2245ページである。気が遠くなる話であるが、一行一行に黄色の蛍光ペンを引きながら読み進めた。すべてのページを読み終えるまでにどれだけの日数がかかったのかは覚えていない。今でも鮮明に覚えているのは、私のジーニアスは、蛍光ペンを塗りたくられたことで各ページがしわしわになって膨張し、しまいには、本の厚さが倍くらいになって閉じられなくなり、パイナップルの葉のようになっていたことである。どのページも一面蛍光色に彩られた様はすこぶる壮観だった。

 

インクを吸ってまるまると太ったジーニアスを時折眺めては自己満足に浸っていたのだが、その後もTOEFLの点数は一向に上がらず、自分にはまだ語彙力が足りないのではないかと思い始めた。それで、再度、ジーニアスを1ページ目から読むことにした。今度は、表裏2ページを読んだら、そのページをはぎ取って、伝票差しに刺していった。伝票差しに刺された黄色い紙の束が日々少しずつ増えていくのを見るのがうれしかった。それとともに、ジーニアスが日に日にページを削られ、やせ細っていくのを見るといたたまれない気持ちにもなった。2回目の通読が終わったときには、ジーニアスは、すべてのページを失い紺色のビニールカバーだけになった。

 

この経験から私の英語の語彙力がどれだけ向上したのかは正直よくわからない。それでも、私にとって、刹那でも数万の英単語を記憶したという事実は残った。そのおかげで、その後は、これだけ努力してわからないのなら仕方がないと心の中で割り切れるようになり、英語でのコミュニケーションに物怖じしないようになった。少しばかり忍耐がいるが、英和辞書の通読は、英語に自信をつけたい方にお勧めの勉強法である。

荒巻 慶士

UPDATE
2022.01.20

その他

旅心に誘われて

 ふと思い立って旅に出る。そんなことをしなくなってどれくらい経つだろうか。逃れがたいスケジュールに、ここへ来てコロナの追い打ちである。先が見えないだけに、旅への思いは募るばかりだ。

 

 20代のころ、アメリカに留学し、帰国前に、長距離バスで大陸を横断した。ニューヨークからシカゴへ、シカゴからニューオリンズに、ロッキー山脈を越えてサンディエゴ、北上してサンフランシスコへという行程だった。宿も決めない、出たところ如何の若さに任せた旅だった。

 記憶には匂いが伴う。バスから降り立つと、胸を満たすのは、アスファルトに積もった、底冷えする夜の雪、雑踏のほこりや、砂漠の乾いた風、温泉の蒸気‥‥。その肌に触れるに近い感覚は、バーチャル旅行ではもちろん味わえない。マスク姿では半減、興ざめだろう。

 

 コロナ下で、顔と顔、手と手を介しない情報のやり取りは、ますます増えていくに違いない。このようなコミュニケーションもおろそかにできないことは承知している。長期戦に備えて、わが事務所も法的サービスのあり方を改めて考えているところだ。裁判所の手続も電子化が急ピッチで進んでいる。

 それでも、生の〝触感〟は代えがたいものがある。窮屈さからいずれ解放される時を心待ちにしながら、旅への夢想を膨らませている。

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