荒巻 慶士
- UPDATE
- 2017.07.31
その他
うちわであおいでいた
毎日、暑い日が続いています。
私事で恐縮ですが、昨年末に子どもが産まれ、その子が初めての夏を迎えています。
蒸し蒸しする昼下がり、わたしはうちわで赤ん坊をあおいでいました。エアコンを入れようかとも考えたのですが、空はうすぐもりで、古風な人力の風も気持ちがよいのではないかと思われたのです。
その子は、横顔にやわらかな光を浴びて、すやすやと眠っていました。
あおぎながら、わたしの方もうとうとと…。
ふと突然、わたしは、幼いころに、母からまさにこんな風にうちわであおがれて、眠りについたことを思い出しました。
ふさがってくるまぶたを感じつつ、うちわを動かしながら、あおいでいるような、あおがれているような…。
不思議な感覚でした。
無意識のうちに、親からされたことを子にする。
もしかしたら、それがよいことであっても、悪いことであっても、いえるのかもしれません。虐待された子が虐待親になる「虐待の連鎖」が語られることもあります。
いや、ひょっとすると、これは、親子だけのことではないのかもしれない。
よきにつけ、悪しきにつけ、ひとからされたことを知らず知らずのうちにひとに返していく。
きっと、ひとってそういうものなのでしょう。
あおぎながら考えた夏の午後でした。